ニーチェは、若くして学界のスターとなるも、後半生は挫折と孤独に苦しみながら哲学を追求しました。『ツァラトゥストラはこう語った』がどのような状況で書かれたのかを知ることで、ニーチェの思想の背景がより明確になります。
この記事では、ニーチェの人生の後半に焦点を当て、学界との決別、ワーグナーとの決裂、失恋、病との闘いといった彼の経験がどのように哲学に影響を与えたのかを詳しく解説します。また、ニーチェの哲学において重要な概念である「ディオニュソス的」と「アポロン的」についても詳しく説明します。
ニーチェの後半生:栄光から孤独へ
1. 「悲劇の誕生」の執筆と学界との決別(28歳)
ニーチェは、25歳でバーゼル大学の正教授に就任し、学界で順風満帆なスタートを切りました。しかし、28歳のときに発表した『悲劇の誕生』が彼の転落の始まりとなります。
『悲劇の誕生』は、ニーチェの芸術論をギリシャ悲劇に託して書いた作品であり、従来の厳密な文献学的研究とは異なるアプローチを取りました。
『悲劇の誕生』と「ディオニュソス的」と「アポロン的」
ニーチェは、芸術や文化の本質を説明するために、「ディオニュソス的」と「アポロン的」という二つの概念を提示しました。
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ディオニュソス的(Dionysian)
- ギリシャ神話の酒と狂気の神「ディオニュソス」に由来
- 陶酔、感情の爆発、カオス、生命の歓喜や苦悩の全受容
- 直感的で野性的な芸術のエネルギー(例:音楽、舞踏、激情的な詩)
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アポロン的(Apollonian)
- ギリシャ神話の芸術と秩序の神「アポロン」に由来
- 理性、秩序、調和、形のある美、個別性
- 知的で構築的な芸術のエネルギー(例:彫刻、建築、秩序ある叙事詩)
ギリシャ悲劇とは?
ニーチェは、「ギリシャ悲劇はディオニュソス的とアポロン的の融合によって生まれた」と考えました。
- ディオニュソス的な要素(狂気・陶酔)が、アポロン的な要素(秩序・調和)によって芸術として形を成す
- これにより、観客は悲劇を通じて自分の苦悩を昇華し、人生の真実に触れることができる
しかし、ソクラテス以降のギリシャでは理性が重視され、アポロン的な要素が過剰になり、ディオニュソス的な要素が衰退していきました。その結果、「本来の悲劇は滅びてしまった」とニーチェは考えたのです。
この理論は学界からは完全に無視され、ニーチェの学者生命は事実上終了します。
ニーチェとワーグナー:精神的同盟から決裂へ
『悲劇の誕生』は学界では評価されなかったものの、音楽家リヒャルト・ワーグナーとその周囲の人々には絶賛されました。ワーグナーはショーペンハウアーの思想に共鳴し、「音楽は人間の苦悩を表現し、救済をもたらすもの」と考えていました。ニーチェはワーグナーを精神的な同盟者と見なしていました。
しかし、やがてニーチェはワーグナーに違和感を覚え始めます。
- ワーグナーは名声を求める俗物ではないか?
- ワーグナーの音楽は、ショーペンハウアー的な「人間の苦悩の超越」とは違うのではないか?
- ワーグナーはキリスト教的な価値観に回帰しようとしているのではないか?
こうして、ニーチェはワーグナーと決別し、独自の哲学を展開していきます。
孤独と苦悩の中で生まれた『ツァラトゥストラ』
1. 失恋と『ツァラトゥストラ』執筆の動機(38歳)
- ルー・ザロメに恋し、プロポーズするも拒絶される
- その翌年、『ツァラトゥストラ』第1部を10日間で執筆
ルー・ザロメとは?
- ロシア生まれの21歳の才女
- ニーチェの友人パウル・レーと親しい関係
- ニーチェはザロメに恋をし、結婚を申し込むも拒絶される
さらに、ザロメはニーチェとパウル・レーに「3人で共同生活をしよう」と提案しました。しかし、結局この関係は破綻し、ニーチェは深く傷つきました。
2. 『ツァラトゥストラ』のテーマ
- 超人(既存の道徳を超えて生きる個人)
- 永劫回帰(人生は無限に繰り返される)
- 神は死んだ(キリスト教的価値観の終焉)
ニーチェの晩年と死(40代〜55歳)
1. 精神崩壊と晩年の孤独
- 1889年(45歳):精神に異変をきたし、病院に収容される
- 1890年以降(46歳〜55歳):母と妹に看病されながら過ごす
- 1900年(55歳):死去
晩年のニーチェは、もはや執筆もできず、周囲との交流も困難になっていました。皮肉なことに、彼の名声はこの頃から少しずつ高まり始めました。
まとめ
ニーチェは、学界との決別、ワーグナーとの決裂、失恋、病気と戦いながら哲学を深化させました。彼の後半生の苦悩が『ツァラトゥストラ』やその他の著作に反映されているのです。
ディオニュソス的とアポロン的の対比を通して、ニーチェは「理性と感情のバランスの重要性」を説きました。
ニーチェの思想は、既存の価値観を超え、新しい生き方を模索する指針を与えてくれます。今なお、多くの人々に影響を与え続けているのです。

